ビジネスに吠えろ(1985) 公演解説

1985年は満劇にとって飛躍の年であった。
4月に念願の阪急ファイブ・オレンジルーム進出を果たしたばかりか、その12月には再びオレンジルームで新作上演を行った。
「ビジネスに吠えろ」は初代熱血座長・古沢真による脚本で、「ヘルプ」などに次ぐ4本目の長編にして最高傑作である。
他の公演紹介と同じく、どこが面白いかと言うことを文章で伝えるのは難しいが、試しに以下あらすじをまとめてみると……

<あらすじ>

巨大企業・青空建設では中東バンダール駐在所に派遣する社員を募ることになったが、過酷な任務が敬遠されて誰も応募する者はいなかった。
業を煮やした常務・人事部長らは、社員食堂日替わり定食チケットを生涯支給するなど破格の条件をつける。
「陽当たりが悪くてソーラー電卓も使えない」と言われるほどの冷遇を受けてきた決算報告係の社員たちは色めき立つ。
全社から殺到した申し込みの中、白羽の矢が立ったのはなぜか決算報告係の定年前の平社員・平田だった。
常務は平田になぜ中東勤務を希望したかを尋ねるのだが……
冴えないけれど宴会芸では負けない係長(芦屋キムチ)とその係長に憧れる平社員(淀川フーヨーハイ)を主人公と見せかけて、
実は定年前の平社員・平田(伏見ムニエル)をしぶい第2の主人公として後半浮上させ、
そこへ冷徹でありながら人間味ある常務(桂雲呑)、変則熱血人事部長(西宮爆肉)、切れ者キャリアウーマン淀屋橋かおり(守口すもも)、係長の異色の妻(本芦屋きの子)らが入り混じって、登場人物の1人1人が魅力的な群像劇となった。

<出演者>

係長・堂島 (芦屋キムチ)
平社員・宝ヶ池 (淀川フーヨーハイ)
定年前の平社員・平田 (伏見ムニエル)
女子社員 (桂さらみ)
常務 (桂雲呑)
人事部長 (西宮爆肉)
キャリアウーマン・淀屋橋かおり (守口すもも)
係長の妻 (本芦屋きの子)
秘書 (富小路春菊)
ミス青空建設 (堺きな子)

<「ビジネスに吠えろ」台詞集>

「右目に赤、左目に青の立体色眼鏡をかけてみたまえ。
会計学とは何か、その答が君の眼前に浮き出て見えるだろう」
決算報告に来た係長が隠し持った台本通りにしゃべっていることを看破した常務の台詞。
言ってることはナンセンスなのに、不思議な説得力があった。

「6億2千4百93万5千とんでとんで1円。
いじわるですなあ、半端な数字。
でも驚かないで下さい。
この数字は、3で割り切れるのです!」
決算報告シーンで係長が3で割り切れる数字は縁起がいいと主張する。
必ず大爆笑が起きた。

「私と付き合いたければ中近東へ志願したまえ」
キャリアウーマン淀屋橋かおりに憧れる平社員・宝ヶ池に対し、平手打ちをくらわせ、しかも濃厚にキスをした後でかおりが放った言葉。
あり得ないバカバカしい台詞と劇的な高揚感は紙一重であることがわかる。

「家を建てたんです」
5場のクライマックスシーンで、なぜ中東派遣へ応募したのか?という常務の問いに定年前の平田が答えて、この言葉に始まる愛しきマイホームへの思いが綴られる。
シンプルで真情あふれる言葉は「熱海殺人事件」の大山金太郎の台詞「海が見たい」へのオマージュであったかも知れない。

「私たちは、ここにいるぞー」
決算報告係が会社の組織表からはずされたのを知り、悔しさからこぼれた係長らの心の叫び。
しかも、やかましいと怒鳴られる。

「せめて、エレベーターに体半分入った時にドアを閉められないような、そんな係にしてやりたい」
3場で係長が部下に語る係の理想。
サラリーマンもののお手本と言うべき殺し文句である。

「うちのトイレは……くさいぞ」
宴会芸名人である係長に弟子入りを熱烈に志願する宝ヶ池に対し、情にほだされ根負けした係長が重く語った言葉。
トイレのくささと人情を合体させる日本初の試みに成功した。

「振り向くな家族を。捨て去れ恋を。生きて再び故国の地を踏まんことを思うなかれ……栄転だ!」
銃弾の音が響く中、中東へ係長ら3人の派遣を決めた常務の辞令であり、はなむけの言葉。

「食わんか。のど飴だ」
常務が力強い長い台詞の合間に係長にのど飴をすすめる。
このシーンが何度か繰り返され、不思議な効果を上げた。
何がいいのか今考えてもわからないが、すごくいい。
ある意味天才的と言える。

5場で登場する巨大どじょうすくいを、合宿中の京都の旅館で欄間につかまりながら練習したことを思い出す。
落ちてきた障子が制作・野田ジャスコの頭に当たり、大騒ぎした。
あの傷跡がおでこに残っていないだろうかと、今でも時々気になる。
この公演直後に生まれた芦屋キムチの長女は、登場人物・淀屋橋かおりにちなんで「かおり」と名づけられた。
その子ももう17才。あと23年経てば、40才である。
またこの頃、客席最前列でひっくり返って笑っている現座長・ライス大の姿が舞台からよく見えた。
当時はお客さんとしてよく足を運んでもらったのである。