すちゃから社員 (1984年公演)

大阪なんばのショッピングモールのはずれにある煤けたゲームセンター。
その一画にキャロットホールはあった。
ホールといっても、とても劇場と言えるような施設ではなかったが、我々には思い出の地である。
満員劇場御礼座の第1回公演初日は、1984年12月15日土曜日午後7時に行われた。
短編オムニバス。
サラリーマンによるサラリーマン演劇という独自のスタイルはこの時から確立した。
また、作者・宮崎仁誠の処女作でもある。

「ラジオ体操」
オープニング。
芦屋キムチ(課長)と桂雲呑(部長)。ラジオ体操第一の音楽に合わせて、体操しながら部長が課長に業績の上がらない理由を問いただすという内容だった。
だが、最高のブルースギタリストでもあった初代音響マン・岩田ギブソンはガチガチに緊張し、カセットテープをさかさまに入れてしまったのである。
最初の音楽が出ない。
あせって巻き戻そうとして暗闇に長い無音状態がシュールに続いた。
満劇の前途は暗雲に包まれたかに見えた。
ここでお客さんが帰っていれば、今に至る満劇の歴史はなかったかも知れない。
だが何とか復旧し、そこから快進撃が始まった。
翌週の土日にまたがる変則日程公演は尻上がりに大きな盛り上がりを見せた。

「設計思想」
メーカーの研究室。
ちまちました課長(桂雲呑)にいびられる平社員(淀川フーヨーハイ)。
課長の言う「設計思想がない」とは、制作中のスプーンの柄がたった2ミリ長いことであった。
「思想」という言葉をあまりに軽率に用いる会社生活にカルチャーショックを受け、一石を投じた問題作。
ラストは、やはり安易な思想を振りかざす学生運動のシュプレヒコールのものまね。
会社ものを中心とする満劇であるが、会社に対し批判的な内容をあつかったのはこれが最初で最後である(たぶん)。

「料理教室」
テレビの料理番組に出演した満たされない主婦(守口すもも)は、ふとしたことから夫の不実、自分の不幸を全国の視聴者に訴えることになる。
うろたえる講師(伏見ムニエル)。
番組は迷走し、前代未聞のカタストロフィーへと向かう。

「ホットドッグ屋」
ホットドッグ屋(西宮爆肉)の長年の夢は、自分が売っているホットドッグを全部自分で食べてしまうことだった。
そして食べ始める。
無言で延々と食べる。
そう、これはそれだけの芸なのである。
最高4〜5本食べたのではないだろうか。
後半は1本取りあげるたびに、女性客から悲鳴が上がった。
パフォーマーとしての西宮爆肉の華々しいデビュー。

「るんるん診察室」
不条理もの。
いつか心臓が止まると恐れている健康な学生(芦屋キムチ)を診察する医者(淀川フーヨーハイ)は密かなキケン人物であった。
お色気看護婦(守口すもも)が登場し、手術を見たいとせがむが……。
このときの「無責任男」というテーマは、その後淀川の生き様となる。

「芸術」
異色歴史もの。
この面白さは文章では伝わらないので、ぜひ本番を見てほしい。
但し、いつ再演するかわからないのが残念。
明治初期、ヴィヨロンを愛する音二郎(伏見ムニエル)は、無知蒙昧の素人(桂雲呑)にバッハの音楽の素晴らしさを教えるが、内容は全てが誤解に満ちていた。
知識のない者同士が議論をする様は事情のわかった第三者からは滑稽に見えるが、その第三者をまた離れて観察している視線があることを言外に表現したことは誰も知らない。
バイオリンを全く弾けない伏見ムニエルの無理やりな演奏と、それに身を震わせる桂雲呑の体の硬さが見どころ。

「まんじゅう屋」
ホットドッグ屋と同じ。
西宮爆肉がまんじゅうを持って現れただけで爆笑が起こった。
ただしもうさすがに食べられないのである。
準備体操の後、食べようとして吐きそうになり、倒れて暗転。
暗闇の中、笑い声だけが続いていた。

「会社説明」
学生に不人気なトイレットペーパー製造メーカーの要領の悪い人事担当者(芦屋キムチ)が必死に学生を勧誘するが、最低の学生(淀川フーヨーハイ、西宮爆肉)にも逃げられてしまう。
人のよさと頭の悪さの複合によって面白さと哀しみが生まれることがここで証明された。
同時にこの時の芦屋のキャラクターが係長太郎のルーツになった。
作品中、淀川がシンナーの代わりにビニール袋に靴下を入れにおいを嗅いでトリップする行為は、誰もまねをしようと思わなかった。

「マラソン」
パフォーマーとしての西宮爆肉の最高傑作と言える1人芝居。
日の当たらないマラソン選手が目立ちたいために"歴代天皇の名前を暗唱しながら走る"ことを決意。
レースが始まる。うつろな目でぶつぶつ言いながら走る選手に次第に注目が集まる。
デッドヒートの末に「明治天皇、大正天皇、今上天皇、皇太子、ひ・ろ・の・み・や〜!」と叫びながらゴールインして倒れ、「人生なんじゃないですか」のひと言を残す幕切れが印象的。
翌年4月のオレンジルームに進出しての「すちゃらか社員2」で再演され、完成度はさらに高まった。
さらには、朝潮でんぷんの「走るサラリーマン」へと発展する。

「すちゃらか社員」
表題作。
香川登志緒氏に了解を得て、タイトルとして拝借した。
「すちゃらか社員」は大阪が生んだ昭和30年代〜40年代の傑作TVコメディーシリーズである。
満劇版では、宴会芸だけで社長の座にのしあがったという伝説の人物である社長を中心に、ジェスチャー、だじゃれ、ものまねの得意な3バカトリオ(芦屋キムチ、桂雲呑、淀川フーヨーハイ)が会社で宴会芸の練習に励み、真面目な秘書(守口すもも)を激怒させる。
芦屋キムチの特異なジェスチャー芸が会場を沸かせた。
これは桂雲呑の発案になるもので、例えば「もう堪忍袋の緒が切れた」と文章があったとするとそれを「モー」「カンニング」「ふくろう」「脳」「王」「ガキ」「レター」のように分解するのである。
テンポ、明るさ、笑いの質、どれをとっても初期満劇の代表作と言っていいだろう。

この公演の意義は何と言っても、満劇がサラリーマン劇団としてのデビューを飾ったことにある。
今となっては(これを書いている2004年)サラリーマンも老人も魚屋も演劇をするのが当たり前かもしれないし、そうでないかもしれないが、少なくとも当時は断じて、サラリーマンが会社に行きながら芝居をするなどということは、受験生が卓球の練習をつんだだけで東大に合格しようとするより無謀なことだった。
現に我々は大学・大学院を卒業して就職した後、いつかは公演をしたいと思いながら、数年間実現しなかった。そんな時、宮崎仁誠が電話をかけてきた。
「聞け、ついに脚本を書いたぞ。みんな集まれ」行ってみると第1回公演の短編のうちの数本が出来上がっていた。
その日が今日に至る長い歴史のスタートだった。
特筆すべき点として、この時点で女優は守口すもも1人しかいなかった。
満劇はいちじるしく男社会だったのである。だから守口は女の役があると、全部1人でやっていた。
誰かが女装するという発想はまだなかった。(今もない)