ウィング商会バーゲンセール

オレンジルームでの公演「すかたん株式会社」の後、満劇は長い沈黙の期間に入った。
劇団員の転勤、家庭の事情、結婚、無意味に忙しくなる仕事など、数々の理由はあったが、いちばん大きな理由はほとんどの文化活動停滞の真の理由がそうであるように、マンネリだったと思う。
観客動員も獲得し、アマチュア劇団としてはかなりの人気を博し、年に2度の公演を重ね、精神的にハングリーさをなくしたことが原因だったかも知れない。
ちょうどラジオ大阪の週1回の30分番組「すかたん株式会社」が終了し、新たに深夜枠で「歌謡曲だよ、すかたん倶楽部」という月?金の帯番組(!)が始まった。しばらくはそちらにエネルギーを取られ、やがてそれが終わっても何もしないままにすっかり時間がたった。
その後、宮崎仁誠はドイツに2年留学した。
気がつけばベルリンの壁は崩壊し、ソ連は解体していた。
学生時代以来、社会主義の理想を追い求めてきた我々はその目標を失ったのだった(ウソ)。
湾岸戦争のペルシア湾では、緑ファンタとそっくりの水鳥が油にまみれていた(これは本当、ただし本人は似てることを否定している)。

ふつうなら劇団というものは、このまま終焉を迎えるのだろう。
ところが1992年初め。オレンジルームのプロデューサーをやめた中島氏から久しぶりに連絡を受けた。
氏はミナミのヨーロッパ村にある新しい劇場・ウィングフィールドのプロデュースを担当されており、そのこけら落とし期間の出し物を探しているということだった。
氏からの提案は、気鋭のコント集団「ニュース」との合同公演だった。
これが単独公演の話だったら、実現しなかったかも知れない。
あまりに長いこと休みすぎて、果たしてまた公演のようなしんどいことをやれるかどうか、自信がなかったからだ。
だが合同公演なら、集客、スタッフ、会場設営などの諸問題の負担が半分ですむ。
おかげで久々の舞台を踏むことができ、この公演を足がかりに第2次満劇再編成への道のりが開けたのだった。
まったく演劇の神様はどこまでも我々に甘いのである。

結局、満劇としては「ウィング商会バーゲンセール」(劇場名からのタイトル)で3本の短編を上演することになった。
といっても1本20?30分の演目なので、全体としてはかなりの分量である(合計約1時間10分)。
以下の3本、いずれも演出は宮崎仁誠。

<漫才社員> 
作・山村啓介。ある会社の部長(芦屋キムチ)とその部下(淀川フーヨーハイ)は、取引先である中小企業の社長(桂雲呑)を接待するために一計を案じる。
それは社長の漫才好きを見越して、国語・算数・理科・漫才、やがて義務教育にも漫才を取り入れると言われる大阪ならではの風土に根ざした「接待漫才」であった。
社長はとにかくええ本を見ると、早くやりたくてたまらなくなるのである。
部長がシナリオを書き、社長と部下が演じることになった漫才の内容は、懐かしい人生幸朗・生江幸子を現代にアレンジした「エコロジー漫才」。
脚光を浴び始めた環境問題を題材にとり、「ばかもーん」「この泥ガメ」など定番台詞を生かしながらのニューウェイブ漫才で、実生活でも漫才好きの桂雲呑が生き生きした人生幸朗を見せた。

<送別会> 
作・淀川フーヨーハイ。送別会の流れで深夜スナックにたどりついた2人のサラリーマン。
地方の支社に左遷される先輩の田中(芦屋キムチ)を後輩社員(淀川フーヨーハイ)が励まそうとするが、ふとしたことから田中の仕事にからむ裏金工作が明るみに出る。
後輩はとぼけたふりをしながら、裏金の使途を根掘り葉掘り聞き出す。田中はやがて不安になり、後輩を口止めしようとするが……。
後に「リアリズムもの」と呼ばれるようになる、じっとりした異色なトーンの会話スタイルはここから始まった。
ことの起こりは練習中の芦屋と淀川の即興劇である。
まるでその場で思いついたようにしゃべる。ついつい話がふくらむ。
言わなくていいことを言ってしまう。 言われた方が困ったりする。
一種危険な試みである。
大失敗も覚悟していたが、これが思いもかけず大受けしたのだから世の中わからないものだ。
このスタイルは後に95年の「ランチタイム」などで何度か応用されることになる。

<社長の決断> 
作・宮崎仁誠。真面目な平社員(淀川フーヨーハイ)とその上司の課長(芦屋キムチ)は、ルーティンワークを堅実にこなしているが、よく見ると働いているのは平社員だけで、課長はハンコを押してばかり。
平社員は連日すごい残業時間である。
そこへ改革に燃える社長(桂雲呑)が現れ、ダメな会社の条件を書いた雑誌の記事を読み上げると、「上に行くほど働いていない」自分の会社はまさにダメな会社であることがわかる。そこで社長は素晴らしい英断を下す!
何と、平社員を部長に昇格、自分と課長は涙を飲んで平社員に降格することを決定するのである。
一同感激し、社長と課長は「ええ会社やなー」と言いながら退場する。しかし考えてみると働くのは元・平社員の部長だけであることは変わりない。
誰もいなくなった部屋で、部長は残業代なしで残業するのであった。
いい会社とは何か?経営者がどんなに英断を下しても肝腎の問題は解決されないジレンマを描いた衝撃作。

この公演の成功で、奇跡的に満劇は復活への道を歩み始めた。
我々はお客様アンケートというものを初めて見た。
すごくほめてあった。
それから我々はアンケートが大好きになった。
正確に言うと、自分たちをほめてあるアンケートが大好きになった。
一方でひそかな寂しさも感じていた。
合同公演に満劇から参加したのはわずか5人。
出演はたった3人だった。
この経験が翌年の第2次満劇結成へと続いていくのである。