1976年秋、京都大学内に劇団「卒塔婆小町」を旗揚げ、第一回演劇祭として公演。
桂・淀川・宮崎らと共に、何回か劇団の名前を変えつつ、今日に至る。
経済学部で浅田彰と同級生であったが、それだけのことである。
読まずに段ボールに詰めたままの「資本論」が、数年を経て、いざ古本屋に売りに行こうとした際、
表紙以外全て、本と同じ体積に繁殖した幾万匹の微細な虫に変化していたことは、
社会主義の終焉を象徴する出来事として、
また、閉じた空間の中で有機物の連鎖を証明した事実として、数人の間に知られている。
カフカも、ヒッチコックも、仏陀も彼の数奇な実体験の前には言葉を失うであろう。
同じ会社を二度辞めるという不条理な人生を歩みつつ、
現在は、e-医療ジャーナリストとして独立、
劇団員のみならず、世人の健康向上に貢献している。
全盛期には、歩くだけで、原始人からチャップリンまでの進化を表現するなど、
パフォーマンスができる唯一の存在であったが、
パントマイムをしようとすると、必ずゼスチャーになる。